2040年問題の原因は?
- Toru Takahashi
- 2023年7月28日
- 読了時間: 6分
更新日:2023年8月20日

テレビのニュースで知ったのかは、定かではありません。これから約17年の時が過ぎると、3人に1人が高齢者という社会構造になるそうです。それに加えて、少子化の影響による深刻な人手不足になってしまうそうです。ダメダメな未来像ですね。
また、労働人口の減少により、社会保障制度の維持が危ぶまれ、生活に欠かせないインフラの老朽化が深刻になるとか。もし、私が命をながらえていれば、満79歳です。その時、社会の第一線にいるとは、到底考えられません。貧しい老人国家になる日本を、ただ眺めるしかない立場になるでしょう。
ヨーロッパには、既に老人国家になった国など、いくつもあるとか。賢くも、そうなった時の対策は準備万端で、心配する必要もないと聞きました。母国ながら、日本は、理想論だけ達者な実に浅はかな国だと言うしかありません。
これからは、IT技術の更なる進化によって人間でなければできない仕事が激減するのは、もう目に見えていることです。それでも人手不足とは、何ぞや?それだけ若い人がいなくなるということでしょうか。それなら、最悪の事態です。
年寄りの口癖と言われる「昔は良かった」を冷笑する時代も、いずれは終わると思います。高度経済成長を支えたのが、今の後期高齢者のお年寄りたちです。2040年に65歳になり高齢者の仲間入りをする人たちは、いわゆる就職氷河期の同情すべき年代だそうです。バブルの前に就職した私たちにはありえなかった「派遣」や「非正規」などの新語が出た時代です。
その災いに直面しなかった人たちの「昔は良かった」発言は、急に重みを増しました。これからの人たちに、年金は支給されるのか。実に怪しいです。あの「消えた年金」は、どうなったのか、私が知らないだけでしょうか。
こうなった原因は、世の中が妙に便利になったからだ。なんて、個人的にホームページを作ったり、知識のほとんどをスマホから得ている私に、言う権利などないかもしれません。しかし、タイムスリップして、電話は一家に1台、後は公衆電話の時代に戻れと言うのなら、きっと喜んで受け入れると思います。その方が、楽だからです。
また、駅の伝言板に「◯◯で待つ」なんて書いてみたいです。また「追伸 好きです」なんて書いてみたりして。ああ、昔は良かったとしみじみ思います。1980年代の渋谷駅。当時モアイ像の近くにあった伝言板は、告白だらけでした。それを見た人は、何万人もいたことでしょう。私も、伝言を書いた1人でしたので。
子どもの頃、来る21世紀は、鉄腕アトムがいる世界なんだと、思い込んでいました。自動車が空中を行き交い、街中を人間とロボットが談笑しながら歩いている。建物は、木でもコンクリートでもない曲線状。不便なことなど、何もない。輝く未来都市ができるんだ。子ども心に、夢見ていました。
現代は、いびつな便利さを悪用する輩の住処となりました。人を欺すことに、あまり罪悪感を感じていないような事件の数々。いい世の中とは、誰も言えないでしょう。便利グッズをスマートに使いこなし、カッコよく悪事を犯す奴と、昭和時代に、渋谷センター街で片っ端から女の子をナンパしているような奴。後者は、カワイイもんです。
ずっと前から気になっていた、昔は「いじめ」という“小児語”と捉えられいた言葉が、急に「虐め」という深刻化した問題の呼び名になりました。こんな造語など、いずれは古語扱いとなって欲しい言葉だと思います。
元国語教師の勝手な私見ですが、「いじめ」は単独で使う言葉ではなく「弱い者いじめ」というイディオムで意味を成すと考えます。「何をふざけたこと、言うんじゃねーよ!」と怒鳴られそうなので、この辺りでやめておきます。このニュアンス、おわかりでしょうか。
年金についても、私の世代は辛うじて間に合うようですが、2040年は、限りなく怪しい雲行きだと思われます。第二の矢ならぬ、第二のトンカチが振り下ろされるのではと、心配されるところです。「年金氷河期」だったら、確実に犠牲者が出るでしょう。しかし、お上に策なく、ばら撒き政策が続いています。誰が考えても、借金大国の信用度はゼロです。
長年に渡り働き詰めで、高齢になったら救いの手はない。こんな残酷なことがあってはなりません。「自己責任」という言葉の悪用に他なりません。この国を仕切っている人たちは、誰一人として、金に困っていません。金銭感覚のない人が、「億」の支出について語っているのです。信用できますか。
さて、ここ本荘は、小さな城下町でした。その典型的な特徴は、道が狭いことです。私の記憶によれば、「中央線」が二車線道路の一番手だったと思います。その後、次々と道路拡幅の工事が行われて来ました。それで、何が良くなったのでしょうか。道路が広くなると、歩く人は減り、クルマは次々と通過していきます。その快適さを引き換えとして、街は寂れるのは、ちょっと考えれば誰でもわかることです。
行政の施策が、地元の活性化を阻んでいる状態をどう思いますか。単なる通過点となった街並みを、どうしようというのでしょう。ここでも「昔は良かった」が出て来ます。
昭和の本荘は、商店街が賑わう、活気ある場所でした。駅前には、大衆料理の店が並び、直進するとスーパーマーケットがあり、ほぼ歩行者天国の上横町や大町には、周辺町村から来た買い物客であふれていました。お昼は、駅前の秋田屋で味噌ラーメンか、清吉で中華か。当時は、珍しくもない蒸気機関車の汽車に乗って、わざわざ出かけたものです。
今は、どうでしょうか。庶民の楽しみと言えば、どこにでもある大型店。昔の繁華街は、閑古鳥状態です。「地域の活性化」の大旗など、ただの絵空事としか思えません。
他県の皆さんには、ただのローカル話に感じるでしょうか。あなたの住む地方都市も同じなのではないかと思い、敢えて書いてみました。こんな街が、17年後には、鉄腕アトムがいる未来都市になっているのでしょうか。
毎日、酷暑が続いています。かつて社会問題とされていた、フロンガスがオゾン層を破壊して、太陽光を和らげるフィルターがなくなり、大変なことになるという話を、思い出しました。今は、その最悪の事態ではないですか。それとも、解決済みなのでしょうか。こんな知らぬが何とかで、揉み消されているようなことは、他にもたくさんあるように思います。
2040年問題を皮切りに、あちこち話が飛び回りました。何だか、心の不調を感じます。カウンセリングにでも行こうかな。私の場合、スーパー・バイザーに相談しようかな。カウンセラーでも、カウンセリングを受けに行くのが、ごく当たり前のことですから。fin
注)数字や記号を、「2040」の半角の記述ではなく「2040」の全角にしてみました。いかがでしょうか。変な改行などは、かなり減ったように思います。逆に、「見にくい」という感想もあるかと思います。いずれ、どちらかに決めたいと思います。
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